photo by pakutaso.com
晩酌の時のおじいちゃんの話は、同じ話ばかりだった。
大体、ゲートボールの話か、戦争の時の話か、どこのじいさんが病気だとか、そういう話は中学生の私にはつまらなかった。
おばあちゃんが亡くなってから、おじいちゃんの隣の席はわたしになったので、ご飯を食べる時は、うんうんって、聞きながらも、まあ、聞き流すのが大半。
だけど、酔って饒舌になったおじいちゃんから、その日は聞いたこともない話が始まった。
お父さんが、畑の木を植えかえしたいので、今ある木を切るしかないという話をし始めたとき、
「そういえば、あの木はどうしたべ」
「あの木ってどれさ?」
「孫が生まれたときに、記念に植えたやつさ」
おじいちゃんは、私が生まれたときに、記念に畑に木を一人で植えていたみたいなのだが、すっかりどれだかわからなくなっているようだった。
「細い木っこを、植えたんだけど、弱くって。
枯れたのさ、その木。」
なんて、不吉な!それ、私の木ってこと?
「でもさ、枯れたと思ってたんだばって、枯れたとこの横からさ、新しい芽が、出てきたの。にょきっとさ。でさ、そこからどんどん元気に伸びたのさ。すくすくとさ。」
私は黙って聞いていた。
お父さんが、
「それ、どの木よ?そんな話初めて聞いたわ。」
おじいちゃんは、酔って面倒になったのか、本当に忘れちゃったのか、
「わがんね~。」
わたしだって、そんな木があるなら見たい。
一度死にかけて、またすごい生命力を発揮しまくって伸びた木は今、どうなっているのか?でも、
おじいちゃんは、わたしに言った。
「だから、お前は、大丈夫だ!」
だから、わたしは、大丈夫だ。
公開日:2014.11.26
「大丈夫だ」って凄いパワーのある言葉ですね、
幼少期に否定されて育った自分には、羨ましいすぎます。
うん、大丈夫なんだよ!
生命の神秘ですね。