夜明け前、尿意を催した私は暗い中、二階のベッドを抜け出して一階のトイレに向かった

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photo by halfrain

2011年9月7日の夜明け前。
尿意を催した私は、まだ暗い中、二階のベッドを抜け出して一階のトイレに向かいました。
廊下の電気を点ければ何ということもなかったのです。カミさんを起こすのも悪いと思い、勝手知ったる自分の家ですし、階段へと一歩踏み出そうとしたのですが、一歩手前がすでに階段でした。

気が付いたときは救急病棟のベッドの上。首には身動きできないように硬いカラーが巻かれていました。
頚椎の3番と4番の損傷が酷く、手術するまでに2週間の絶対安静。担当医師の診立てでは、手術しても一生寝たきりか、良くなっても車椅子の生活は免れない、とのことでした。

2週間後に手術。術後の検査でもやはり温痛覚は全く無し。足首が少しだけ自分の意志で動きました。ただそれだけで医師は奇跡に近い、とのコメント。
救急病院での入院は処置することが無くなると退院させられ、リハビリ専門の病院へと転院することになります。
足首が少しだけ動いたといっても、それ以上の進展はなく、ベッドから車椅子への移乗には三人がかり。寝たきりの人間の移動手段に過ぎません。

72㎏あった体重は54㎏になっていました。余分な脂肪の落ちたのは結構なことですが、必要不可欠な筋肉も失っています。
転院した後のリハビリは先ず自分の足で立てるようになることから始まりました。180日間の理学療法士、作業療法士との三人四脚。

残暑はいつしか秋も過ぎ寒い季節になった頃、ようやく自分の足で立てるようになりました。
全く動かなかった腕と指も少しづつ動くようになり、特性のスプーンを手の平に幅広の輪ゴムで止めて食事も自分で摂れるようになりました。
理学療法の時間はひたすら足を鍛えることが中心。暖房してあるとはいえ、真冬のリハビリ室で頭から湯気が出るほどのストレッチの日々でした。療法時間は決まっているので、時間外も自転車漕ぎを午前午後と1時間づつを自分のノルマとしました。
車椅子から歩行器へと変わったのは冬も終わろうとする頃。曲がりなりにも自分で箸も持てるようになっていました。
180日間の入院、桜の散り終えた頃には杖だけで歩けるまでに回復、退院の日を迎えました。

退院してから2年半が過ぎました。頚椎損傷の神経は途切れたままです。何をするにも不自由ではありますが、寝たきりにもならず、車椅子の世話になることもない生活を送っています。自分の足で動ける喜びを噛み締めながら、少しだけ残った運動神経を鍛えるのに週に一度の通院リハビリと家での自主訓練の日々です。
リハビリ専門の病院でお世話いただいた療法士さんたち、担当の医師と看護師・介護士さんたちには、いくら感謝してもしきれないものがあります。

公開日:2014.11.11

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