photo by フリー素材屋Hoshino
私はある家を探していた。
何件か呼び鈴を押して「この辺で熱帯魚飼っている家を知りませんか?」と訪ねたが結局見つからなかった。
あのときとは風景が全く変わってしまっている。仕方がないので心の中でつぶやいた。
「すいません。そしてありがとう。」
東日本大震災の翌日のこと。
街の中心部は見渡す限り津波で水没し、家屋の2階以上に数千人が取り残された。まだ自衛隊や警察も到着前。私は朝から水没しなかった高台の土手をベースに病人と妊婦をカヌーでエリア外に搬送していた。
一つ困ったことが生じていた。人は数日食べなくともなんとかなるが、水は別だ。飲料水を水没エリアの被災者に供給しなければならなかった。
土手で叫んだ。「誰か飲み水を持っていませんか。」
ある男が「熱帯魚用だが飲める水が結構ある。カヌーで家に連れて行ってくれ。」と言った。
カヌーに彼を乗せて水没エリア内の彼の家に行き、そこでポリ缶の水を1400人が避難する小学校にピストン輸送した。
1年後、慰霊祭の帰り、彼の家を訪ねることを思いついた。
家が分からず結局会えなかったが、やっぱりお礼言いたいなあ。
公開日:2014.12.27
三年前の東日本大震災でつらい思いをした方が沢山いたと思います。寒く家や食べ物など必要なものがないなかよく耐えたなと思います。助け合って生きることがいかに大事か知りました。
どこかでこれを見ていてくれたらいいのに